港区男子の見解

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スペイン風邪はどう収束したのか

今から約100年前に流行したスペイン風邪。疫学者の見積もりでは死者数が1億人にも達したと言われるこのパンデミックがどうやって収束したのか。みんな気になってるはずだが、結論はあまり聞いたことがない。ハッキリした原因を特定しづらいということもあるのだろう。そこで、ビルゲイツが今年の5冊として紹介していた、『The Great Influenza(グレートインフルエンザ)』を読みました。この本は希少価値が高いせいか、amazonでは13800円より〜になってます。私は図書館で借りて読みました。当時のスペイン風邪のルポになります。

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500ページ超えですが、ざっくりのまとめを以下書きます。

  • 当時世界人口18億人中高い方の見積もりで1億人が死亡。5%以上。死者の大部分は1918年秋の2週間に出た。
  • 高齢者よりも若者の死者が多かった。若者の死者が半数以上を占め、その中でも最悪の死亡率は21~30歳。
  • 咳やくしゃみによる防衛は肺にダメージを与えるものではない。しかし肺が感染すると、命を奪うほどの暴力的な防衛反応が働きはじめる。犯人と一緒に人質を殺してしまうか、村を救おうとして村ごと破壊してしまう軍隊のようなものである。若者を死に至らしめたのは、強すぎる免疫システムの反応によるもので、このために肺と体液と細胞の残骸がたまり、酸素を交換できなくなった。これを引き起こしたのがスペイン風邪のウイルスが引き起こすサイトカインストームである。
  • インフルエンザが神経系統に深刻な影響を及ぼすことは間違い無い(精神的不安定との関連は明白)
  • 1918年春の第一波で感染した人は、秋の第二波に対してかなり免疫があった。たとえば1春に在米師団の本拠地にいた26000人のうち2000人がインフルにかかり、軽症レベルも含めるとほぼ全員が晒されたはずだが、秋はそのメンバーにはほとんどかからず、夏に新たに入った12000人を殺戮していった。ヨーロッパでは春にインフルに襲われた一隊の部隊が秋にはわずか6.6%の感染で済んだが、もう一方のグループは春の波を免れたため、逆に秋のときは48.5%がインフルにかかった。他にもこれと同様の例が多数見られた。
  • 突然変異群を形成する全てのウイルスと同様、速やかに突然変異した。『中央値への反転』という数学上の概念がある。これは極端な現象のあと、あまり極端でない現象がみられるということを意味する概念である。これは法則ではなく可能性としての問題である。1918年のウイルスは極端に走った。ここで突然変異が起きると、さらに致死率を高める方向ではなく、それを下げる方向に向かいやすくなる。この動きによって、時が経つにつれて致死性も弱まっていった。

 

最後の『中央値への反転』の話はあまり聞かない説で、興味深いです。今回のコロナはスペイン風邪のときより極端な現象じゃないので、逆に収束まで長引く可能性があるということでしょうか。

一度感染したことのあるグループのほうが次の流行に強いというのはよく聞く話ですが、ここまで顕著な差が出ていたというのは興味深いです。致死性が小さいうちに、ワクチンを打つようにかかっておいて、突然変異して致死性の高い次の流行期での被害を小さくするという戦略はあり得そうです。ただワクチンと違って一発目の感染で死ぬ可能性もあるので、そこは考えどころです。今のデータ的にはコロナは致死率相当低いので、次の突然変異に備えるという意味では今のうちにかかっておくのもありかもしれませんね。結果論になりますが、スペイン風邪のときは、第2波>第3波>第1波で毒性が強く、第3波は第2波による被害を免れたオーストラリア中心に襲われていますので、第1波でかかっておいたほうがよかったということになります。一番いいのは全部でかからないことなのですが。