コロナウイルスを確実に防ぐ方法
今年の正月休み、人類の火星移住に関する本を立ち読みしました。
衛星の反射鏡みたいなものを設けて、太陽光エネルギーで温度をコントロールしたり、すごい施策がたくさん書かれてて驚きました。
ちなみに一番難しいのは空気の生成らしいです。
あれを読んでると、地球で生きるのがめちゃくちゃ楽勝に感じます。
さて、今日、コロナウイルスの脅威が云々言われてますが、月で活動してる宇宙飛行士は感染するでしょうか。
絶対しません。なぜなら、宇宙服で囲われており、自分専用の酸素を吸っており、接触、飛沫、飛沫核感染という3つの感染ルートを完全に遮断してるからです。
ただし宇宙服は高価で重くて入手しづらいです。
そこで、少しハードルを下げると、エベレスト登山する登山家の格好が参考になります。
頂上アタックするときは、防寒のために全身を覆える極寒用ダウンジャケット、手袋、目出し帽、サングラス、さらに低酸素対策で酸素ボンベをつけてます。宇宙服に比べるとだいぶ低価で軽くて入手しやすいです。
また、ここまでしなくても、ダウンとかに関しては、平地では別に寒くないので、もっと薄手でいいでしょう。防護服で十分です。それで全身を覆えば、あとは酸素ボンベで自分専用の空気を確保すればいいだけです。
月とかエベレストで活動する人たちは、好き好んで過酷な環境に行き、そこで死なないよう生きていくために、誰の指示を待つわけでもなく、自分で知恵を振り絞って生きようとします。
自宅待機、自粛要請というのは手軽な対策ですが、結構長引いていろんな文明活動が停止します。また全員自宅にいれるわけではなくて、物流とかで外に出て人と接する人はどうしても残ります。ここは宇宙飛行士とかを見習って工夫して、日常社会でも積極的感染対策をするべきではないでしょうか。コロナ戦争だとかよく聞きますが、防具を全くつけもしないで戦争というのは私には違和感があります。感染ルートはわかってるんだからそこは重点的に守れよと。
宇宙服もどきや酸素ボンベはそんなたくさんない、という意見もあるでしょう。
しかしもっとたいそうな自動車は世界に何十億台もあります。速く移動したいニーズが高ければ安価で大量に入手可能になります。まだ車がめちゃくちゃ珍しかった時代に、一家に一台みないな世界は想像できなかったでしょう。それがフォードが量産体制作って実現しました。今は滅多に見かけない格好でも、ニーズが高まればそれが常識になるのです。
コロナウイルスに限らず、感染症は大小の差はあれ常に存在しており、この格好をすればそれが全部防げるのです。一家に一台、というか1人に1個あったほうがいいでしょう。酸素ボンベの生活はやりすぎでしょうか?死のリスクや活動の停滞よりも見た目やおっくうさを優先するならそのままでいけばいいでしょう。
いくら量産体制確保できても、今すぐ全員分はたしかに無理です。しかし今回の教訓を受け、これまでの常識的な形にとらわれず、上記対策が取れれば、数年後人類は感染症に恒常的に勝つことができるのです。
なぜ9割の投資家は負けるのか?
投資では、大きく言うと上がるか下がるかの二択なので、適当にやっても勝率5割になるはずです。なのになぜ一般的に9割の投資家は負けると言われているのでしょうか?
私も長年疑問に思っており、なんとなく理由は察していたのですが、今回、『図解でわかる ランダムウォーク&行動ファイナンス理論のすべて』を読んでかなり腑に落ちました。概要をまとめます。
まずランダムウォーク理論について。
以下3つの条件が成り立てば、新しい情報はすぐに価格に織り込まれてしまい、次の価格変動は予想のつかない新しい情報によってのみランダムに発生するので、投資分析が無意味になる、サルでもスーパー投資家になり得る、という理論です。
1、相場を変動させうる情報は、瞬時にマーケットに広がる
2、売買に際して、税金や手数料などはかからない
3、すべての投資家は、金銭的利益を最大化するよう合理的に行動する
実際には完全に1〜3は成り立たないので、マーケットにわずかに残る、ランダムではない非効率な部分に焦点を当てて、期待リターンを高めていくことになります。
ここで、このマーケットの非効率の最大の発生原因は、人間心理に潜む非合理性だとされます。
例
- コインの表が10回連続出たら、次はさすがに裏が出るだろうと、50%の確率を心理的に歪めてしまう
- A株に1000円で買い注文を出してたが、あれよと1050円に値上がりしていった。このままだとさらに買い遅れてもっと値上がりすると焦り、1060円で買った。こういう連鎖で相場が適正な価格から押し上げられた
- 一般的な人間は同額の利益から得る満足よりも、損失から受ける苦痛のほうが大きい
- 損失が膨らむと、追加で損失が発生する苦痛の増加よりも、損失が減ることによる苦痛の解消のほうが効果が大きくなる(損きりせず塩漬けしがち)
いろんな記事でよく見る話ですし、実感的にも納得できるでしょう。
これに当てはまらない、感情を排して冷徹になれるサイコパスには実感できないでしょうが。
人間の心理には、効率的市場仮説で仮定されてるような合理的な心理構造は存在せず、明らかに特定のバイアスを持って常に傾いてるということです。
リスクを過度に恐れ、コンセンサスへの依存によって小さく買って大きく負け、情熱的正当化によって必要以上の損失を被ります。
投資家は、経済学的には合理的でなくても、人間の行動としては極めて自然な行動をとります。
これがマーケットに非効率を生みますが、本来非効率にかけてプラスの期待リターンを生み出すべきなのに、真逆の行動をとってることになります。
つまり、人間はもともと投資で負けるようにできているわけです。
もちろん、多くの投資家が負ける分は誰かの利益になっていて、それが勝ち組みの投資家です(サイコパスや洞察深い人など)。
彼らが多数派を占めるようになれば、彼らの期待リターンの源泉である非効率が消滅してしまうから、勝ち組み投資家は常に少数であることがマーケットの基本構造になります。
それでは、非効率にかけてプラスの期待リターンを生み出す、つまり勝ち組み投資家になるにはどうすればいいのか?
本では以下3つのパターンが紹介されてます。
1、ダイナミックアプローチ
2、リスクプレミアム
3、アービトラージ
1、ダイナミックアプローチ
- 人間は将来予測が苦手→事実分析と切り離した将来予測
先行性や速報性を重視し、データ間の食い違いなどわずかな兆しに注目する。マーケット情報を最大限に活用する。
- 相場は変化分に反応する→キーファクターを中心としたシナリオ分析
このために、原油とか、各国の債権とか政治動向など様々なキーファクターについて注意を払う必要があるらしい。当たり前のことだが、ハードルは高い。
- 不確実性のせいで、正しい将来予測は存在しない→新しい情報に基づきシナリオをメンテナンスする仮説検証型シナリオアプローチ
新しい情報が入ってくれば、シナリオは変化してくるので、事後の検証と修正が重要な意味を持つ。これも当たり前のことだが、ハードルは高い。
ダイナミックアプローチと反対のやり方であるスタティックアプローチの例で書くと、速報性の低い経済指標と相場の動きを見比べた場合、相場のほうが一足早く動いてることが多く、経済指標分析は不発に終わることが多い。
こうならないようにもっとダイナミックに動こうということだが、本が書かれた2005年よりも今はIT取引が発達していて、もう厳しい手法かも。
しかし仮説を持ってシナリオを検証する姿勢はいつの時代でも投資家に必要な資質だろう。
2、リスクプレミアム
リスクの高い投資対象ほど期待リターンが高くなる。人間の心理構造からは逆の行為をしなければならない。
バフェットの投資理論は突き詰めて言えば、『大きなリスクプレミアムを織り込んだ優良銘柄に長期投資せよ』ということらしい。
宝くじを発行する国家と同じように、十分なリスク分散ができれば収益化の確度が高くなるという性質がある。
しかし分散するとせっかくの高い期待リターンが薄まってしまうので、難しいところ。
リスクプレミアムには好況と不況と同様の周期性がある。長期投資をして1サイクルを乗り越えたところではかなりの確率で利益を残せることになる。
景気循環は3~5年程度から50~70年程度まで様々。気の長いものになる。
これに適してるのは常に稼ぐ必要のあるプロよりも個人投資家である。
3、アービトラージ
マーケットに生じる歪みから、リスクほぼなしで収益を上げること。
機会が少ないし、実行に要する高度な分析テクニックとインフラ作りも大変だし、ということでガチプロ以外にはオススメできない。省略。
ということで、人間は心理的にもともと投資で負けるようにできているということでした。
その対策として本書では3つの方法を紹介してましたが、1と3は王道だが投資の実力そのものが問われてハードルが高いです。
2の長期投資がオススメではないでしょうか。本書ではゼロサムどころか手数料とかでマイナスサムみたいな感じで書かれてましたけど、株とかなら経済成長で全員勝つこともあるし、実際長いスパンで見たらずっと保持してたらみんな勝ってますし。
あと、心理的に自然なことをやると負けるメカニズムがわかったので、あえて心理的に不自然なことをやるのがいいんじゃないかと思いました。つまり普段やってることと真逆のことを意識的にやるのです。
超高級リゾート・フロリダパームビーチにあるトランプの別荘・マールアラーゴ
フロリダの南東で大西洋側に面するパームビーチは、鉄道王フラグラーによって開発された超高級リゾート地です。今年の5月にフロリダのオーランド出張ついでに旅行してきました。
オーランドでディズニーリゾートを満喫したあと、高速バスGreyhoundに約4時間乗ってパームビーチに到着です。
まずトランプの別荘・マールアラーゴを見に行きます。宿泊していた宿から徒歩20分、橋を渡ればマールアラーゴが見えてきました。
この入り口のタイルの細かな洗練された模様を見ればそのこだわりがわかるでしょう。
扉が開いてたので入れるところまで行こうとしましたが、警備員がゆっくり出てきて、これ以上進むと首をちょん切るぞポーズで威嚇されて引き返していきました(笑)
テニスコート、ゴルフ場、プライベートビーチなど充実した施設があり、館内は大富豪たちの社交の場となっているようです。このマールアラーゴの話については、トランプの80,90,00年代の自著で詳しく書かれていますが、あり得ない安さで買い取ったらしいですね。たしか8億円くらい?
縄張りであるニューヨーク・マンハッタンでも、70年代の市が死にかけていた大不況時に安値で好立地の物件を買いまくって開発して大成功してきたトランプ氏。私が最も尊敬する人物の1人です。彼に倣って私も港区もとい世界の大都市で成り上がって行きたい所存です。
トランプ氏は最近住所をニューヨークからフロリダに移しました。この豪華すぎる拠点から、世界のますますの発展のために全力を尽くしてください。
マールアラーゴ付近の別荘は豪華そのもの。
パームビーチのオススメは、洗練されたデザインがナイスなノートン美術館。
街を開発した男、鉄道王フラグラー博物館は広いのはいいんですが、全体的に薄暗いのがもったいないなと思いました。
プライベートビーチの比率が非常に高いですが、街の中心地から少し西にいくとパブリックビーチもあります。燦々な太陽に照らされた青いビーチがナイスです。
特にこれといった箱モノやコンテンツはないのですが、ただその空間にいるだけでいい気分になれる、癒されるという、大人のリゾートがパームビーチだと思います。
元DA PUMP 宮良忍さんのシューノーケルツアーに参加
今回、沖縄の小浜島にある元DA PUMPのSHINOBU(宮良忍さん)の民宿に泊まり、シュノーケルツアーに参加してきました(私は20年来のDA PUMPファンです。)
ANAマイル20000ポイントで羽田ー石垣往復便を取りました。
石垣空港からバスで30分、島の中心の離島行き港に着きます。
そこから船で30分かけて小浜島に向かいます。
最初は結構船が高速で揺れて、ジェットコースターみたいで驚きましたが、すぐ慣れます。次の日の忍さんの船も似たような感じでした。
小浜島の港に着きました。忍さんが迎えに来てくれてます。オーラを全く隠しきれてません。圧倒的存在感のドレッドです。
車で5分、坂を登って島の中心にある集落の一角、民宿みやらに着きました。
部屋に案内されます。ここは一番シンプルな作りの部屋で、風呂、トイレも別室(共同ではありません)の寝るだけの感じの部屋ですね。
夜7時から夜ご飯ということで、現在5時頃ですが、島を散策しにいきます。
島の南東のほうに『はいむるぶし』と『星野リゾート』という2大リゾートがあり、そこを目指して歩き&走ります。
星野リゾートは現在改築中ですが、はいむるぶしは流石南国リゾートという感じでしたね。広々としていて清潔で、可能であればずっとここでバカンスしていたい気分です。
小浜島は起伏がありますが、非常に狭い島なので、5kmくらいなら楽勝で走れるという人なら、荷物さえ宿に置いてくれば自転車無しでも簡単に移動できますね。
民宿みやらに帰ってきて夜ご飯です。非常に健康的で美味しい和食です。毎日こういうご飯が食べたい。
夜ご飯後は外のガレージ?で泡盛を飲みながら宴会です。今回は女性1名、女性2名、女性2名、男1名(私)と忍さんの7名です。
夜11時くらいまで、星を見たり、サインをもらったりしつつおしゃべりして過ごしました。昔忍さんが東京で、今の私の家のまあまあ近くに住んでいたことが判明。街のことが話せて嬉しかったです。
翌日、朝ごはんを食べた後、10時くらいから忍さんの船でシュノーケルに出かけます。
出かける場所はそのときの季節とか天候によって相談になります。この日は雨は降りませんでしたが、風がかなり強く、海が時化ていたため、小浜島近辺で決まりました。天気が良ければ西表島のほうまで行けるみたいですね。
小浜島の港から船で20分くらい、まず幻の島に向かいます。
基本は座って運転ですが、ポイントが近づくと立って上から高い視座を保ったまま足でハンドル捌きという神業を繰り出してきます。かっこええ。
小さな浜と岩のみでできてるプライベート感抜群の島です。ちょうど晴れてきて、最高の気分でしたね。
そのあとは小浜島の少し北のほうの浅瀬で30分ほどシュノーケルです。11月下旬でしたが海の水はぬるく、ダイビングスーツも借りれるので全然寒くなかったです。メガネ無しで細かいところは見えませんでしたが、地面は手の届くところなので雰囲気はだいぶ掴めました。
充実した時間を過ごし、小浜島に帰着。忍さん、本当にありがとうございました!
私はもう1日小浜島に滞在し、島をぐるりと回りました。
700人しかいない、すぐに一周できる島。周りは綺麗な海。結構すぐ近くには台湾。
自転車は盗まれる心配がないので鍵はかけない。
仕事は農業にしても観光業にしても土日があまり関係なくいつもみんな真面目に働いている。
伝統行事が多く、島民、観光客関係なく酒を飲んで語らう・・非常に学びの多い旅になりました。
今まで日本の西端のこういう素晴らしい環境を知らずに生きてきたわけですが、これからは、今この瞬間もあの島では穏やかで暖かい時間が流れてることを思うと、心が豊かになれた気分がします。
ラターブルロブションでランチ
恵比寿ガーデンプレイスにあるラターブルロブションでランチを食べてきました。
ここはミシュラン二つ星レストランです。現在絶賛放送中のキムタク主演ドラマ・グランメゾン東京の主人公が昔働いてたフレンチも二つ星でした。それと同格ということになります。
私は昔ここのすぐ近くに住んでいたことがあり、ロブション系列は、恵比寿ガーデンプレイスにある三つ星のガストロノミーロブションに2回、二つ星のラターブルロブションに2回、あと六本木ヒルズにあるラトリエドゥロブションに1回、合計5回行ったことがあります。
この3レストランについて私の個人的な感想を書きますと、恵比寿の2店と六本木の1店では、味、雰囲気、サービスに果てしなく大きな差があります。
六本木のほうは、近い距離感でシェフやサービススタッフと会話しながら食事を楽しむことができる空間、ということでコンセプトが違うため仕方ないことです。
コスパで考えると、ランチの一番安いクラスで比べると、六本木とラターブルは2000円程度しか変わらず、しかしクオリティには圧倒的な差があります。恵比寿の2店間ではもっと金額差はつきますが、クオリティはラターブルでも十分過ぎるほど高いため、ラターブルのコスパは最強だと感じています。
その分ランチの予約は競争が厳しく、今回は誕生日祝いで利用しましたが、希望の1週前にずれてしまいました。
今回は6000円のコースを選びました。
飲み物は、私がヴァン ド フランス ソーヴィニヨン ブラン セレクション ジョエル ロブションという120ml 1400円の白ワイン。もう1人が750mlエビアン(水)で、これを2人で分けながら飲みました。この分量でコース終わる頃ぴったり飲み干しました。
これらは税込価格で、サービス料が別途10%かかります。これが消費税のように捉えれば計算しやすいですね。あとは各料理を選ぶ際に追加価格がかかる品を選ばなければ、2人で合計16000円、一人当たり8000円で最高級のフレンチを2時間以上かけてじっくりたっぷり食べられます!
味のほうは、毎回思いますが、実に実に美味でした。
随所に出されるパンは美味しいですが、それでバクバク食べてるとすぐお腹いっぱいになるのでなるべく食べきらないようにします。といいながら出されたパンは全て完食しましたが。笑
今回のチョイスは、まずアミューズブーシュ。
バターナッツというカボチャの品種で、カレーのスパイスも効いてます。表現が難しいですが、とろけながら絶妙な反応が起こってる感じで、舌の中が最高に気持ちいい感じになります。これは高級の研究されてる料理じゃないと絶対味わえない感覚ですね。スプーンでズバズバ吸い上げていきます。
次に、仔牛とフォアグラのパテ アンクルート グリーントマトのチャツネとフレッシュイチジクを添えて。
お皿の模様はシェフがテーマに合わせてペインティングされたそうです。いいですねそのアート精神。一見シンプルな作りですが、左右組み合わせて食べるとそれぞれが味の個性を出し合って舌が全く飽きず楽しめる構成になってます。イチジクがアクセントで特に美味しかったです。
次に、サワラ 生姜とシブレットをまとわせポワレにし、ブランダードとソースエピス。
好きな魚料理が出てきました。ソースの味は見た目より全然濃くなく、素材の味を活かそうという感じでした。和風でしたね。こういう歯ごたえの料理はなんというか、一番『食べてる』実感が湧くというか、理想的には健康面でも毎日ずっと食べ続けたいと思わせられる幸せな料理です!
次にメイン、フランス ロゼール産仔羊背肉のロティ ジョエル ロブションのジャガイモのピュレとサラダパストラルを添えて。
骨のところを持って手でそのままかぶり付きます。柔らかくて、しかし柔らかすぎずちょうどよい噛み心地で食べれます。実に美味い!
ジャガイモのほうは、ロブションさんが数年前NHKで実演披露された品で、私はちょうどその番組を録画して見てたので、感慨深い一品になりました。しつこさや汚れが一切なく、自然に滑らかに口に入ってくる感じ。実に純な食べ物です!
デザートは、モンブランとなめらかショコラのガナッシュを交換しながら食べました。
今までで一番美味しいモンブランでしたね。見た目もオシャレです。そのあとショコラを食べるとわかりやすい美味しさがありがっつきたくなります。
さらに誕生日ということでロブションからプレゼントが。
チョコでフランス語でハッピーバースデーです。栃木産のいちごが芯のほうまで甘みがたっぷり効いててめちゃくちゃ美味しかったです!
締めはハーブティで。豊かで刺激的な時間を本当にありがとうございました!
そのあとは代官山のKASHIYAMAでELLE LOVES ART展を見たり、ヒルサイドテラスの歴史展示を見たり、ガーデンプレイスに戻って今年からカラフルになったバカラを見たり、最高の秋の1日を堪能できました。このあたりのエリアは洗練されてて実にいい。
元DA PUMP YUKINARIがYouTubeデビューしてDA PUMP時代の秘話を語ってくれた②
前回の記事で、YUKINARIの中学〜DA PUMPデビュー直後までのインタビュー動画をまとめました。
https://minatoazabu.hatenablog.com/entry/2019/11/06/210151
今回はDA PUMPデビューから脱退後の動画になります。
https://www.youtube.com/watch?v=mFm8bICTq7s
- 当時は2ヶ月に一回シングルを出す時代。6月にデビューしたが、4月には2ndシングルのレコーディングやPV撮影が始まっていた。多忙。
- デビューシングルは約20万枚売り上げてオリコン15位
- ミュージックステーションは2回出たが、その後いろいろあって出れなくなった
- 歌番組の裏では基本他アーティストとは絡みない。撮りは一回全部で4〜5時間。
- 一番興奮したのはHey×3で会ったBoys2Men。邦楽にはあまり興味がなかった。
- ジャニーズにはライバル心はあった。SMAPは声かけてきてくれたし、自分たちからもかけていた
- 当時はそれほど思ってなかったが、ISSAは歌って踊ってすごいなと今しみじみ思う。ダンスフォーメーション覚える要領が一番いいのもISSA。
- ステージに出たらもうその後は緊張はない。
- 給料は、給料制なので常に出てた。デビュー後は5万円。家賃は出ていたが電車代でかなり消えていた。一番いいときは3桁。ボーナスはベンツ買えるくらいあった。
- 住まいは、一番高いところで家賃30万円くらい。21歳くらいのとき。駐車場代は別。エリアは港区!Avexも港区で、そこから1km以内のところにあった。走って5分のところ。(そのころのAvex本社は今と変わらず港区南青山3丁目。表参道駅から徒歩3分くらいのところ。)
- 犬、猫(ロシアンブルー)、フェレット、カメレオンなどいろんな生物に囲まれて生活していた。
- 赤坂のレコ大と渋谷の紅白間は警察が誘導して移動
- 脱退し、子供はYUKINARIが引き取り、親戚も多く環境のいい沖縄に戻って子育て
- 辞めてから1年間は引きこもり誰とも喋っていなかった。
Mステのこととか、給料とか住んでたところとか、秘話すぎます。(Mステはそうでもないですが本人が語ってくれた)
当ブログのテーマでもある港区民だったのは感慨深いですね。当時の港区は今よりもっと熱かったんだろうな・・
元DA PUMP YUKINARIがYouTubeデビューしてDA PUMP時代の秘話を語ってくれた①
私は99年から20年間DA PUMPファンです。
元DA PUMP YUKINARIが最近YouTubeデビューして、DA PUMP時代の秘話を語ってくれました。その内容をまとめます。
https://www.youtube.com/watch?v=zyUHW5B7f1Q&t=136s
- 中学には1年の1学期しか行ってない登校拒否児だった。中学では野球部に入っていたが、先輩からケツバットを受けてそれが嫌になって不登校になったとのこと。
- 中1の正月に親戚が増えたからと挨拶に行ったら、その方がアクターズスクールの校長だった。ウチに来たらモテるぞと誘ってもらった。
- アクターズスクール初期は女300人くらい対男数人の構成比だった
- 中二でKENがアクターズスクール加入。ダンスビデオを見たりして独自で練習
- その後SHINOBUが加入。小浜島から那覇の高校を受験して受かり、アクターズスクールへ。
- お前ら3人だと歌が最悪と校長から言われたw ある日ポツンとwスターISSA登場。既に別のストリートダンスチームを組んでいたISSAと3人はすぐに意気投合
- なんかのきっかけでISSAに歌ってもらう機会があり、一同うめえとw ダンスうまい、歌上手い、学校行ってるwでなんだこれはとなった
- ISSAが来てからトントンと事が運び、半年くらいで沖縄のテレビ番組でmcATの曲を歌い出し、東京から業界人が視察に来て、東京行きが決まった。17歳くらい。
- 目白で6畳一間にメンバー2人で生活。部屋割りはジャンケンで決まったが、ちゃんとしたい派(ISSA,KEN)と、どうにかなるさ派(YUKINARI,SHINOBU)で別れた感がある。
- ダンスは事務所が借りたスタジオで、レジェンドの佐久間さんなどのスクールに通って練習していた
- DA PUMPの名前すら決まってなかったときに、デビュー曲:mcATカバーのFeeling Goodが決定
- バブル後期の匂いが残る中、六本木のベルファーレで毎週土曜日ライブさせられていた。DA PUMPが出てくると、洋楽のノリと違うから、初期は客がパーっと去って行った。2ヶ月くらいやるとファンができてきて、最後の方は観客がパンパンになっていた。
登校拒否の話とか、この動画が出るまで知らなかった話が満載で大満足です。バブル後期の六本木でDA PUMPのパフォーマンス見たかったなあ・・
デビューから脱退を語った次の動画は、次の記事で書きます。それでは。